セカイ系ブログ
はてなダイアリー - セカイ系とはより引用。
過剰な自意識を持った主人公が(それ故)自意識の範疇だけが世界(セカイ)であると認識・行動する(主にアニメやコミックの)一連の作品群のカテゴリ総称。
[きみとぼく←→社会←→世界]という3段階のうち、「社会」をすっ飛ばして「きみとぼく」と「世界」のあり方が直結してしまうような作品を指すという定義もあるようだ。
[きみとぼく←→社会←→世界]
これをブログにあてはめると、こんな感じにならないだろうか。
[コンテンツ←→コミュニケーション←→インターネット]
インターネット上の物事に関して、ブログで自分の意見を
述べるブログは多い。そんな中、自分のブログ(コンテンツ)に
載せた意見が、インターネット上の正しい意見として思い込んで
しまう人がいるかもしれない。ちょっとアクセス数が増えたから
自分こそがインターネットとのアルファブロガーと
自分のブログ上のみがインターネットのすべてだと
勘違いする人がでてきてしまうかもしれない。
そんなブログを「セカイ系ブログ」だなんて勝手に名づけてしまうのは
大袈裟かもしれないけれど、もともとブログの更新作業は、
自分とPCとの対話。コンテンツというのは自分自身の意見であり、
コンテンツの集合であるブログは、自分のセカイのひとつである。
それがセカイのひとつならいいのだが、
それがセカイのすべてであると、インターネットのすべてであると
思うこともまた少なくはないと思うのである。
コンテンツだけがブログではない。
コミュニケーションもコンテンツになりうるし、
コンテンツもコミュニケーションの手段になる。
ブログにおいて大切なのは、
自分の意見を考え直すことにあるのではないだろうか。
そのためには、コミュニケーションを受け入れる必要があると思う。
となりのブログは青い。
さぁ、視野を広げようじゃないか!
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コメント
セカイ系…
同じような概念を私は「心のドーナッツ化現象」と呼んでいました。1998年頃の事です。
「自分を取り巻く世界が、近隣者を飛び越えて いきなり世界規模になっている人」と。
自己喪失を指してそう呼んだのですが、世界=自己であるのならば、それらはルビンの壺。
魔法と重ねて効果を語られもする日記の効験も、今日的なブログと同じで、他人に読まれることが前提としてあった…と考えてましたわ。
投稿: 妙訝 | 2005.06.25 00:45