個性の見つけ方を教えてください
個性、個性、個性、個性、個性、・・・
あー、もうウザい。誰もかれもが個性を求めてくる。なんだよ個性って。学校の先生やテレビの中の評論家まで、さらには多くのブログでも個性が大事なんて言ってやがる。個性があれば何でもできるってお前は○○か?そんなに個性を強要されても私には何もないんだよ。勉強だって平均以下だし運動ができるわけでもない。そんな私に個性を求めて何がしたいの?私、壊れちゃうよ・・・
私は思う。最近の若い人は「個性」という単語を嫌ってはいないだろうか。個性的でありたいと常に思いながら、平凡な自分に「等身大の自分」ではない、もっと輝いた「本当の自分」がどこかにいると強制的に夢を見せられていないだろうか。
個性って何?・・・人とは違う何か。
個性って何?・・・生まれ持った違い。
はっきり言いたい。この二つは個性ではない。一時期-プラトニック・セックスや五体不満足がベストセラーだった頃-、生まれ持った不幸な境遇さえもが個性と思われ、それをうらやましいと思う風潮さえあった。私はそれがすごく嫌だった。違う、それは違うと伝えたかった。個性とは「自分らしさ」であって「他人と違うこと」ではない。自分が築くことができるものであって、環境によって決まってしまうものではない。後天的なものでもあって、先天的なものだけではない。だからといって突然個性的な自分になれるわけでもない。単なる目立ちたがりや自己主張のみで他人の意見に耳を傾けない人間なんてもってのほかである。
私は、個性というのは同じことをやったときに出てくるものだと思っている。他の人と同じことをやったときに、自分と他者の間に感じた差異、あるいは同じこと。それらが個性だと思っている。つまり、個性とは自分を認識すること、そして他者を認識することだと考えている。
だから、昨今の個性尊重のゆとり教育は明らかにおかしいと思う。例えば、ブログを授業で作るようになったときに「考えていることを自由に書きなさい」「ありのままに書けば、それでよい」と言われて、小中学生が何を書けるというのだろうか。本当に個性を伸ばせるのだろうか?単に、個性を持たなきゃいけないと学生を焦らせるだけで、ブログ嫌いな人ができあがるだけではないだろうか。大人の世代だって、どのように書いたらよいのかの指導もほとんどないまま読書感想文を書けと言われ、全くペンが進まなかった経験はないだろうか。それが作文嫌いや読書嫌いを大量生産しただけだと気づかなかったのだろうか。
私は、個性を持たせるためにあえて「型」を教えるべきだと思う。基本ができて応用が存在する。個性だって突然見つかるものじゃない。気がついたらそれが個性だったと認識する方が多い。型を覚えるうちに、ここはこうしたらいいのではないかと試行錯誤をしていくうちに個性が生まれてくるのだと思う。
最近、サイト論を語る人の中に「アクセス数を増やすには個性的なサイトを作ろう」と言う人が多い。多くの人が「その通りだ」と思いながらも、「個性的」という単語から逃げているかのように何も行動を起こさない。個性的なサイトのイメージが沸かないだけだろうか。個性的でないサイトなんて無いと言いたいのだろうか。
あなたがサイトを持っているなら、そのサイトにはすでに個性が存在していると思う。あとは、その個性に気づくことと、それを伸ばすかという2つしか選択肢がないのではないだろうか。まずは自分のサイトの個性を知るために、常連さんがどうして自分のサイトを見ているのかを知ろう。そして、それを伸ばすために個性をアピールしよう。どうしても今のサイトの個性がイヤというならば、今の訪問者をすべて捨てて、サイトを一から作った方が良い。
多くの人が何とかして個性的でありたいと願い、そうあらねばならないと焦っている。いまの平凡な自分は「本当に自分」ではない、「本当の自分」はもっと輝いているはずだ、そう思い込もうとしている。個性重視の社会が生み出した焦りに、逃げてばかりではいけないのだろう。今の自分を見つめなおしてみてはどうだろうか。
<まとめ>
個性を見つけるということ。
それは、他者を尊重し、他者と比較することで自己を認識することである。
関連:私は自分がピカチュウかどうなのか悩んでいます。私は本当にピカチュウなのでしょうか?
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コメント
個性というのは精神面に宿るモノではなく、
身体に宿るモノだと思いますよ。
顔にしろ指紋にしろ仕草にしろ、
人それぞれ違ってきますし。
もし精神面で個性的な人がいるとしたら
その人は精神病院にいることでしょう。
人間の心はみんな似たようなモノであって
お互いが共感できるから良いのだと思います。
投稿: 名無しさん | 2005.09.03 23:02
精神的に個性的な人がいたらちょっとおかしいと思うのに、最近は「個性尊重」を「違うことが素晴らしい」と勘違いしてしまう人がいるような気がしたので、警笛のつもりで書いてみました。
ちなみに、精神的なことを書いたつもりではなかったのですが、うまく伝わらなかったようですみません。例えば、ニンジンが好きとか嫌いとかって身体的でも精神的でもないですよね?うーん、語彙が少なくてすみません。
投稿: まなめ | 2005.09.04 01:28
こんにちは。
ブログ運営において求められる「個性」とは、乱暴に言うと「おもしろさ」なのだと思います。
「おもしろさ」の中には、「笑い・普通の人とは違う論点・豆知識/TIPS・なるほどな解説・新しい情報」など色々な物があると思うのですが、何か面白い物がないと誰も読んでくれませんね。
情報の内容がそれほどでもなくても、文体が面白いから読むブログもあったり。
よく「お前、もっと面白い事書けよ!」と思うブログに出会います。誰でも知っている話題を誰もが考えるような視点で見て、みんなと同じような書き方で表現しているブログ。
そういうのは読む気になりませんね。
投稿: LSTY | 2005.09.06 12:44