相手の劣勢を指摘することが自分の優位性を確立するという勘違い
西尾維新「ヒトクイマジカル―殺戮奇術の匂宮兄妹」より抜粋。
勝負に勝つ方法は大きく分けて二つあり、
一つは「勝利条件を獲得する」、
もう一つは「敗北条件を排除する」です。
物事には表と裏があるというお話です。
勝負に勝つ方法は大きく分けて二つあり、
一つは「勝利条件を奪う」、
もう一つは「敗北条件を与える」です。
物事には裏の裏まであるというお話です。
「敗北条件を与える」ことも、考えようによっては勝つための条件の一つである。しかし、評価においては「勝ち」も「負け」もない。ゆえに、相手の非を見つけても自分の優位性は全くないのである。
例えば自分の書いた記事に反対意見をいただいた場合、「別の考えを持つ人がいる」ことのおもしろさを味わい、お互いの立場や前提条件をふまえてどうしてそうなったのかを考え、これからの自分に取り入れればよい。過去の失敗は今正し、今の失敗は未来で正せばよいではないか。
しかし実際は、否定的意見にヘコんだり、反対されたという事実だけを拒絶したりする人が多い。以前、「武器と防具どちらを先に買いますか?」という記事で「勝ちにいく戦略」と「負けない戦略」の話題を出したとき、多くの人は「負けない戦略」を選択した。その多くは「否定されるのが怖い」からなのではないかと私は考える。
私は、プロの文章の良さは「非」がないことだと思う。伝えたいことや自分の意見はほんの一部で、あとの大半はつっこまれないための穴埋めという印象を持っている。学校の教育では、基本的にプロの書いた文章しか目にしない。そんな文章を先生がいじって「正しくない部分を見つけなさい」という問題が出され、それを指摘するとマルがもらえる。このような国語教育によって、文章を目にした場合、自分とは違う部分や間違った部分ばかりに目が行くようになり、それを指摘することで自分を優位にすると勘違いしてしまう人を大量生産させているようにしか思えない。
「否定されるのが怖い」人たちと、「間違った部分を探すことが正しいと思っている」人たちばかりでは、何も生まれない。だから私はそのような評価はしていない。特にブログのような素人が書いた文章においては、良い部分が何か一つあればそれでいいじゃないかというスタンスでいる。だから、自分自身への評価に対しても「それは間違っている」「~はおかしい」などにヘコむことは少なく、むしろ、良い部分を探す努力をしないなんてかわいそうだとさえ思うことがある。他人を指摘しても自分は成長しない。それよりも、他人に影響されて自分を成長させようではないか。
最後に一言。このエントリは「私の書く文章は勘違いや矛盾ばかりなので、その辺は目をつぶって良い部分だけを感じ取ってください」という自己防衛の意味で書いたものはありません。勘違いしないように。
<まとめ>
相手の非を指摘しても自分は成長しない。
良いと思ったものだけを評価し、吸収しよう。
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コメント
ごめん意味が判らない。
>私は、プロの文章の良さは「非」がないことだと思う。
と、その後の2段落の関係はどうなってるんでしょう?
「プロの文章は非がないのが長所だが、私はそれを(必ずしも)良い物だとは思わない」と?
結局プロの文章は是? 非?
ちなみに俺は「欠点があっても良いから『ならでは』の魅力があること」がプロの文章だと思っていますので、
プロ基準については真逆ですね。
(例えば西尾とかね。)
投稿: すがまさひとのような誰か | 2005.11.04 22:30
どちらかというと、「プロの文章」は前の段落にかかっています。指摘のされない文章を目指すのはプロのやることで、素人であるうちは、それよりも自分の良さを前面に打ち出して欲しいという考えです。良い部分を打ち消してまでして、悪い部分をカバーしようとする文章はもったいないと思うのです。
プロの文章の是非は、是でしょう。ミスを指摘されるような文章を書かないことは最低の前提条件です。その上で、やっと判断のレベルに達するんじゃないですかね。
でも、普段から「良いところを探す読み方」ばかりしているから、意外と受け入れてしまうんですよね。例えば、H×Hなんて「あの絵だからこそいい」と思ってますし。
投稿: まなめ | 2005.11.05 02:27
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上記の本のあとがきに、
「人の弱みをつくことで自分の立場が強いと信じたくなる人間がいる事は知っていた。」
という文章があり、いろいろ感心したものです。
投稿: twbp | 2005.11.05 21:26