読者のターゲットと言葉の強さ
結論から述べよう。
読者のターゲットを絞った文章の方が、メッセージ性が強い。
あえて言うまでもない、当然のことかもしれません。しかし、ブログにおいてはこれがやっかいな問題を起こす可能性があるのです。
以前、ブログは3人に向かって書けという記事を書いた。これは、ブログを書くときは3人の読者を想定しよう。一人は自分(一人称)、一人は相手(二人称)、一人は他の誰か(三人称)、この3人の視点を意識しようということである。そして最後にこうまとめた。
インターネット上に公開するということは、誰もが参照可能ということである。
その中にあって、特定の人へメッセージを込めよ。
今読み返すと、このまとめには大きな飛躍があったかもしれないと思う。それが 特定の人へメッセージを込めよ という一言。この言葉には私自身が考えている大きな前提があってこそ意味が在るものだと思う。その前提とは、以下の3つ。
1.私は「一人称」「二人称」「三人称」の3つを挙げたが、一番大事なことは「二人称」だと思っている。
2.「二人称」のターゲットを絞ったほうがメッセージ性が強くなり、良い記事になるのではないかと思っている。
3.特定の人にターゲットを絞ることと不特定多数に対して書くということは、矛盾していると思っている。
すべてに「思っている」を付けたのは、単なる私自身の好みであって、一般的には当てはまらないのではないかと思っているからです。この3つ目のことから、最初に言った「メッセージが強いことにより問題を起こす可能性がある」という考えを持っています。
ここで、人を笑わせるということを考えます。たった一人を笑わせるのは簡単です。その人の笑いのツボをつけばいいのです。次に笑わせるターゲットを特定のグループにまで広げます。そのときも、そのグループの特徴を見て-例えばあるクラスだったら担任の先生の話などの-話題を選べばそう難しくもないと思うのです。しかし、日本人すべてを笑わせよと言われたらどうしましょう。非常に難しくなります。日本人ならではの共通の話題で笑えるものを探さなくてはならないのですから。私はお笑いの必要要素の一つに「共通体験や共感」が存在するのではないかと考えています。そう考えると、ターゲットを絞ったほうが密度の濃い笑いが発生するのではないか、共感が強いものに対しておもしろいと感じるのではないだろうかと考えることができます。
これをブログに当てはめてみましょう。記事を書くときには、「○○さんに読んでもらいたい」「こんな人に読んでもらいたい」「できるだけ多くの人に読んでもらいたい」のように、ある程度読者ターゲットを頭におきながら書いていると思います。しかし、ブログというのは(プライベートモードを使用していない限り)誰もが参照可能です。それゆえ、想定の範囲外の人が自分の書いた記事を読むかもしれないのです。私は、「炎上」と呼ばれる現象の発端の多くはすべてここにあると思うのです。そして、mixiをはじめとするSNSが流行している理由もここにあるのだと思うのです。ある程度読者を想定できることで、想定外の読者を意識する必要もなく、また読者のグループを特定できることで、より濃いメッセージのやりとりができておもしろいのではないだろうか、と。まぁ、これが私がmixiを好きになれない理由の一つだったりするので良いとも悪いとも言えないのですけどね。
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