悩みを垂れ流された側はどうしたら良いのだろうか
加速する思考 - 悩んだ事を垂れ流すことに意味はあるのか?を読んで。
まず、悩みを書き出すということは非常に良いことだと思う。書き出すだけでも落ち着くことがあるし、読み返すことで別の理解ができることもあるだろう。その悩みが解決した後に読めば、さらに得るものもあると思う。
次に、それをブログという媒体で誰もが参照可能にしておくことに意味はあるのだろうか。ここは難しい。正しくは、良いこともあれば悪いこともあるだろう。読まれたくない人に読まれる可能性ができてしまう。今は大丈夫と思っても、一度公開したものは永遠に残るものと考えた方が良く、いつか読まれたくないと思う人がでてきてもそれを読まれないようにブロックするのは難しい。
そこで視点を変えてみよう。発信する側から受信する側へ。
もし私がいつも読んでいるブログで悩みを書かれている記事を見たらどうするか。
たいていの場合、スルーします。
ときどき、アドバイスをします。
実際の悩み相談も難しいものですが、実際に会ったことのない人の悩みを読むのもまた大変で。受け止め方によっては、意外とそのイメージが残ってしまうこともありますからね。相手が何を求めているのか考えてしまいます。そうだよねと同調して欲しいのか、解決方法を一緒に探して欲しいのか、それとも何もして欲しくないのか。まぁ、ひとの悩みに対してもこんな問題解決思考だから非モテなんじゃないかって思ったりするんですけどね。ゴールはあそこだ!と解決策を提示するよりも、立ち上がってどこかに動き出すのを見ているだけでもいいんじゃないかなって思うんですよ。見守るってやつですね。
だから、もしブログで悩みを垂れ流している人がいても、そーっとしておくと思います。ただ、なぜかそういう悩みって記憶に残っちゃうんですよね。意地悪な私は、悩みを解決した頃にその記事を引っ張り出してきたりしちゃうのですがw もちろんただ意地悪しているわけではありませんよ。個人の悩みなんて、解決できるのは未来の自分自身だけだと思っているからです。むしろ、過去の悩みを乗り越えたから今があると考えるのならば、悩んだ事を垂れ流すことに意味はあるのではないでしょうか?
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