勉強とは抽象化作業である
前回のエントリで「具体と抽象」について触れたのですが、これを書きながら思ったことがあるんです。
それは、勉強って抽象化作業なのではないだろうかということ。
私の学生時代は、数学しかできなかった少年でしたので数学を例にしますが、公式って抽象的なものじゃないですか。例えば、三角形の面積を求める公式は(底辺)×(高さ)÷2であって、この公式さえ覚えていれば、底辺と高さの値がわかった瞬間にどんな三角形でも面積が求まる素晴らしい公式です。こういった抽象的な存在である公式を覚えるのが勉強にあたると思うのです。
そう考えると、テストは抽象から具体へ落とす作業なんです。「底辺が3、高さが4の三角形の面積を求めよ」という一文だけで、三角形の図が描かれてなくても面積がわかるなんて感動すら覚えますよね。まぁ、この程度の問題なら良いのですが、大学入試までレベルを上げるともうちょっと難しくなるわけですよ。一つの具体(問題)から、どの抽象(公式)を組み合わせることで、具体(解)を導き出すことが出来るのか。
当時の私はこんなこと全く考えもしませんでしたが、今思うとなんとなくこんな作業をしていました。中間・期末のテスト勉強は、公式の詰め込み=抽象化作業ばかりで、入試対策の勉強で多くの問題を解いていくうちに、抽象から具体への落とし込み(応用力)が上達したのかな、と。
で、こんな勉強方法しかしてなかったから、文系教科が全くできなかったのかなとも思うのです。(この辺は文系の方の意見を聞いてみたいものですが)
少々脱線しますが、プログラムも同じような考えだと思うのです。プログラムは抽象のまま作られて、一部の具体的例外の対処がされるようなものです。試験がほとんど行われていないプログラムを納品するという行為は、公式だけ暗記して実際に問題を解かずにテストに挑むようなものだと思うのです。実に危険ですよね?
-
「こんな問題解けても将来何の役にも立たないよ」という質問にアナタは何て答えますか?
私は「『こんな問題解けても将来何の役にも立たない』と思っている人は、役に立たないよ」と答えてきました。実に残酷で、実にずるい答えですよね。実際どんな役に立つの?という問いには非常に答えにくいものです。
でも、この抽象と具体の考え方は、この問いの答えの一つになると思うのです。
「抽象化作業と具体への落とし込みの練習だよ」
もちろん、いきなりこんな答えをしても誰もわかってくれませんけどねw
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
>「抽象化作業と具体への落とし込みの練習だよ」
おっしゃる通り!
具体的にどんな役に立つかと言えば、
具体世界の何らかの問題(なんらかの物理量等をもつ。人間関係を含めあらゆることが該当)
→抽象世界への落とし込み(定式化)
→抽象世界での試行錯誤(数式をいじくる。定義に従う限り自由にいじって良し。これこそが、自由な発想のもと!)
→抽象世界で有意な情報を導く(数式から何らかの解を得る)
→具体世界への還元(得た解ををもとに、実際に作業しよう!)
なんだと思います。ですから、抽象化は自由な発想の元ですよね!26才ですが毎日数学勉強の時間を確保するように努めてます。勉強しないのは損ですよね?
以上、通りすがりに失礼しました。
投稿: 26さい | 2007.01.24 13:18
勉強しないのは損かは分かりませんが、勉強することは得ですね。徳かもしれませんw
私は数学科卒の人間ゆえ数学の話しかできないのですが、数学の勉強って抽象と具体をいったりきたりして鍛えているんだなって思います。
近いうちに新しいエントリでまた数学の話を書いてみようと思ってたところでここへのコメントうれしかったです。
投稿: まなめ | 2007.01.24 22:24