普通って何だろう
名もなき毒(宮部 みゆき)より引用。
「じゃ、普通の人間とはどういう人間です?」
「私やあなたが、普通の人間じゃないですか」
「違います」
「じゃ、優秀な人間だとでも?」
「立派な人間だと言いましょうよ。こんなにも複雑で面倒な世の中を、他人様に迷惑をかけることもなく、時には人に親切にしたり、一緒に暮らしている人を喜ばせたり、小さくても世の中の役に立つことをしたりして、まっとうに生き抜いているんですからね。立派ですよ。そう思いませんか」
「私に言わせれば、それこそが“普通”です」
「今は違うんです。それだけのことができるなら、立派なんですよ。“普通”というのは、今のこの世の中では“生きにくく、他を生かしにくい”と同義語なんです。“何もない”という意味でもある。つまらなくて退屈で、空虚だということです」
「どこかの誰かさんが“自己実現”だなんて厄介な言葉を考え出したばっかりにね」
「北見さんて、怖い人ですね」
「怖い?」
「はい。“どこかの誰かさんが自己実現だなんて厄介な言葉を考え出したからだ”って、わたしたちなんかには、とても辛い指摘です」
「わたしたち、まだどこのナニモノでもないでしょ?いずれはどこかのナニモノかになりたくて一生懸命やってるつもりだけど、望んだ結果が出るかどうかはわからない。結果が出る人と出ない人の差がどこにあるのかも見えない」
「最初から、自分はどこかのナニモノかにならなければいけないんだって、考えずに済めば楽ですよね。でも、そうはいきません。わたしたち、みんなそうしなくちゃならないってことを知っちゃったから。目覚めちゃったから」
「原田さんて人は、わたしは本人を知ってるわけじゃないからいい加減な憶測だけど、そういう強い気持ちをいっぱい持っていて、だけどそれが独りよがりなもんだから、空回りしちゃって失敗して、どうして上手くいかないんだって、いつも怒ってたんじゃないでしょうか」
「原田さんは、顔の見える相手が憎たらしいんですね。世間が憎いから、誰でもいいからやっつけちゃえっていう、通り魔とかとは違う。自分のそばに顔が見えて、その顔が笑っているのが憎いんじゃないでしょうか」
「笑うことなんか、ホント簡単なのにね」
普通が何もないことなんて寂しいな。さらに、そこからナニモノかに辿りつかなきゃっていうのはとっても難しいことだと思う。要するに、ゼロからイチになれってことだよね?一度動き出しちゃえばあとはそのまま進むだけで良いけれど、第一歩を踏み出すなんて本当に難しい。しかも、何も無いところからどの方向に向かっていいのかも分からないのだから。
きっと、ここでいう普通というのは座標でいうならまだド真ん中にいるんだろうな。しかも、円じゃなくて点という状態で。私の思う普通というのは、円の状態。基本的なレベルまではいろんなジャンルで満たしている状態。そこから先の“何かにぬきんでた人”=優秀な人になるには壁があるけれど、基本的なことはできて普通だと思ってしまう。しかし、そのレベルを下げて普通という。なんだか格差社会を想像してしまう。
自己実現が“普通”のレベルを下げたのだろうか?確かに、人間は-特に日本人は-、変化が苦手だと思う。個性を育てる教育だとかで、ナニがあるかも分からないうちにナニモノかに進ませようとさせるのが怖くて、逆に動けなくなってしまうのだったら、理解はできる。動くのは怖い、その先に何があるかわからないから。自己実現なんて言葉はかっこいいけれど、自己実現した自分を想像できる人なんてほとんどいないのだから。
だからといって、普通のレベルを下げることとは繋げたくない。そんなことを言うと、立派な人間には分からないって言われそうで、結局は、人それぞれが考える普通があって、それは決して一致しないものなんだろうという結論に辿りついてしまう。その相互認識の違いを埋めるのは何だろう。私が最初に思い浮かんだのは競争だが、違うだろうか。
普通が分からない。
普通って、何だろう。
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コメント
各駅に止まるものです
投稿: 通りがかり | 2006.11.13 18:07
通りがかりさん。こういうコメント、私は大好きですよ♪
投稿: まなめ | 2006.11.13 22:21