代替可能と時間収斂
代替可能(ジェイルオルタナティヴ)と時間収斂(バックノズル)。
これは、西尾維新の戯言シリーズにおいて、終盤のキーになった二つのキーワードである。これを用いた非常に良い文があったので長文ながら引用させていただく。
「俺達三人は、あそこで出会うべくして出会った。陳腐に言えば、そういうことだ」
「・・・・・・・・・」
「例えば、ギャルゲーには、よく道の曲がり角でヒロインとぶつかって出会うパターンがある。ちょっとしたズレで回避されるようなことでも、ストーリー上必ず起こる」
「はあ・・・・・・」
「勿論、ある程度の制限のある自由ってのはあるさ。例えば、朝、早めに起きて学校に行く。朝食を摂ってから学校に行く。このような理不尽な、何の意味もない不自然の行動を行うことは可能だ。だが、ストーリーそのものには逆らうことは出来ない。たとえ、道ばたで出会わなくても、学校に行くと、朝会でヒロインが紹介される。そして、そのヒロインは主人公のクラスに編入され、席は主人公の隣になる。そして、『わたし、この学校不慣れだけど、いろいろ教えてねっ』などと科白を言う。時間と場所は変わっても、行為自体はなされることになるわけだ。この現象を俺はバックノズルと呼んでいる」
「はあ・・・・・・・」
「あるいはもう一つ別の可能性として、別の人間に会っていた可能性がある。例えば、前述の出会いが無く、ヒロインの女の子は違うクラスに編入された。しかし、放課後主人公が自分の所属する部活動に行くと、主人公のことを『おにいちゃん』と慕う後輩がいる。または、主人公のあこがれの先輩がいる。この現象を俺はジェイルオルタナティブと呼ぶ」
「・・・ギャルゲー、好きなんですか?」
「愛している」
きっぱりと、狐面の男は言った。
(真・戯言10本勝負「西東天の運命論」より引用)
私にとっては感動を覚えるほど素晴らしい解釈だった!
ゲームのシナリオは、代替可能と時間収斂でできているのではないだろうか。やるべきことを誰かが行い、起こるべきことがすべて起こることで、世界はエンディングに向かって収束していくのだろう。
<参考>
代替可能(ジェイルオルタナティヴ):誰かがやらなければならないことは、必ず誰かがやる。本来の誰かが懸命に固辞したとしても、その時は変わりの誰かがやる。
時間収斂(バックノズル):起こると決まっていることは、小さな差異はあっても結局は違う場所違う時に必ず起こる。
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