インターネットの素晴らしさ
インターネットの素晴らしさは、exist にある。欲しい情報は必ずどこかに存在する。自分を認めてくれる人も必ず存在する。そこにはすべてが存在する。もちろん、望まない情報もどこかに存在するわけだが。そこで間違えやすいのが exist と ALL(any) の違い。数学的に言うなら、∃(存在限量)と∀(全称限量)の違いといったところか。ある集団に目立つ人が何人かいたからといって、それがその集団すべてではない。2ちゃんねるがどうの、ニュースサイトはどうのと言う人がいるが、一部の目立つ人だけを論じていて大多数のその他の人々を傷つけている記事は書いて欲しくない。
欲しい情報はネット上のどこかに必ず存在する。この前提の上で、最も必要とされるサイトが検索サイトである。検索サイトとは、インターネット上に散らばったたくさんのサイトを一つのデータベースとみなして検索を行うウェブサービスだ。この“インターネットを一つのデータベースとして扱う”ことは、Web 2.0の重要なファクターだと思っている。また、世界一の検索サイトと言えば Google だが、Google の素晴らしさは、サイトを順番に並べる技術にある。
検索サイトがインターネットにおいて最も重要なサイトだとしたら、次に必要なものは何だろうか。おそらく翻訳サービスの質の向上だろう。これは私が日本人だから余計に思うことかもしれないが、検索キーを日本語で入力したら日本語で書かれたウェブサイトしか検索結果に表示されない。しかし、英語で検索すれば英語圏の国のサイトを一度に検索できてしまう。インターネットを一つのデータベースとして扱うためには、インターネット上での言語統一が必要であり、そのためには翻訳サービスの質の向上が求められる。
認証性サイトの素晴らしさは、検索されないことにある。繋がりを持ちたくない人を排除することで、インターネットというデータベースから抜けることができる。mixiがその良い成功例だろう。mixiのもう一つの素晴らしさは、ユーザ間の距離を数値化したことだろう。
個人でインターネットを使う上で最も素晴らしいことは、誰でも参加できるということだろう。今までの、テレビやラジオ、新聞、雑誌などでは、選ばれた人が発する情報から選択することしかできなかった。しかし、インターネットのおかげで誰もが発信することができるようになった。参加できる楽しみを、誰もが持てるのである。
2ちゃんねるの素晴らしさは、そこに人がいることだろう。質問に答える人がいるから質問する人がでてくるし、ネタに反応してくれる人がいるからネタを投下する。すべてはそこにいろんな人がいるからこそ始まるのである。また、2ちゃんねるのもう一つの素晴らしさは無駄がないということ。言葉がきついと言われるが、それはあいさつなどの礼儀をなくすことで文章の要点だけで会話できるように無駄を省いているだけであり、また2ちゃん語だって短い単語に多くの意味が含まれていて非常に効率の良い会話ができる。そしてそんな2ちゃんねるだからこそ、冗長性すらネタとして楽しめるのだろう。
匿名の素晴らしさはすべての人を平等にすることだろう。この世は肩書き社会だ。初めてメールをもらった人と、初めて会って目の前で会話している人とでは信頼度は変わってくるだろう。ましてや、○○大学や△△会社の××という役職なんて肩書きがついたら、そのバックグラウンドだけで信頼性が高まったりする。しかし、匿名での会話ならば発した言葉がすべてだ。その言葉が信頼できるものか、すべてが平等に裁かれる。
インターネットの素晴らしさは、exist にある。そこには無限の可能性が存在する。しかし、必ず負の一面も持ち合わせている。そんな部分に目を向けて不安を煽っていては何もできない。まずは良い部分を見て欲しい。××というリスクがあるからダメと拒絶するのではなく、○○という素晴らしいことができるのだから××というリスクを軽減するにはどうしたら良いかを考えるようにして欲しい。きっとそこには、リスクを伴ってもお釣りがでるほどの素晴らしさが秘められているに違いない。
まずは、素晴らしさを感じよう。
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