理解させるのではなく、自分で考えた気にさせる
天才を育てる方法を模索するブログ 理解させるという事を読んで。
人というのは、押し付けられたり決め付けられたりしたことには、例えどんなに正しいことでも感情的に反発してしまうことがある。だから、理解させるために論理的に説明するのが良い。これが模範解答だと思う。リンク先の「大人の常識が子どもに通じない」というのも、その常識を常識だと思えるような体験をしていないので理解できないからであろう。
しかし、本当に「論理的に説明すれば理解してくれる」のだろうか。
理解はしてくれるかもしれない。
しかし、その通りにしてくれるだろうか?
何か言われると「でも…」と返してしまう私の性格がひねくれているのか(関連)、例え理解しても他人の意見は肌に合わないものだと思うのです。
ではどうしたら良いのか。
他人の意見を受け付けないなら、自分の意見だと思わせれば良いのですよ。要するに、材料を与えて考えさせるのです。巨大迷路を神の視点から、ここをこう通ればゴールできるよと論理的に説明するよりも、実際にスタート地点に立たせればそれでいいのです。意見が分かれるときの大半って前提条件の違いなんですよ。そこが同じなら同じゴールにたどりつくものです。もしそれが難しいのならばヒントを出せばいい。例えば富士山を麓から歩いて上るのは大変でも、途中までロープウェイで行って頂上を目指せばいいのです。大事なのは自分の足で歩いたことと、頂上にたどりついたという事実だけなのですから。
まぁ、言うは安く行うは難しなんですけどね。実際、いくつか材料を出しても考えてくれない人が多いでしょう。ゲームですら、死んで覚えるのではなく攻略本どおりにしかできなかったりで。自分で考える、自分でやってみる、そういう考えを持てる子どもであって欲しいですね。
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コメント
ブログを読んでいただき、ありがとうございます
さらに、貴重なご意見を聞けて大変嬉しく思います、
「理解させるのではなく、自分で考えた気にさせる」
って事ですけど、まさにその通りですよね
って異論に便乗してたら変なんですけど
子供って・・・いや、人って千差万別で、一つの考え方では、
個人個人に対応できないと思うんです
性格もそうだし体格や時間、状況によって変わってきますし
それらに合わせて柔軟な行動をしなくてはならないと思います。
その柔軟さを得る為にも、色々な情報を発信して
みなさまに、教育や育児における一つの材料にしていただき
子育て等に、役に立てて頂きたいと思っています。
投稿: としつぐ(仮名 | 2007.04.25 21:17