読者の期待に答えること
パズルと迷路で最強の塾をつくる!: ここにいない誰かのためにを読んで。
ニュースサイト管理人として、これも一度は通る道だと思う。
私のように読者の少ないニュースサイトでは、ある程度読者が想定できてしまい、ウチの読者ならこのニュースは掲載するまでもなく知っているよねって思ったことがあった。例えば、はてな色の強いニュースサイトだったら、自分のサイトを見ている人はほってんとりも見ているだろうから、ほってんとり1位の記事をあえて取り上げる必要はあるのかという問題。でも、個人ニュースサイトなんて個人のその日の興味の羅列みたいなものだからと私は何も考えず掲載を続けた。
以前、ウチのようなニュースサイトを見る人は○○という大手ニュースサイトも見ているよねと、あえて「某大手ニュースサイトに掲載されたニュースは掲載しません」と公言しているサイトがあった。私はそれを見たとき、そこまで自分を消すとニュースサイトの楽しみがなくなっちゃうよと心配しました。自分の興味あるニュースに好きなコメントを言える楽しさって、ニュースサイトの楽しみの大きな部分を占めているのに、興味ある記事にコメントしたくてもできなくなっちゃったら悲しいじゃん!って。
では、どうしてすでに読者にとって既知と思われるニュースを掲載しちゃ悪いかなって、ニュースサイト管理人が思ってしまうのでしょうか。
私がニュースサイトをはじめる前に、とある俺ニュースさんを見ていて「このニュースを今更取り上げるの?遅くない?」と見下してしまったことがあるんです。そんな過去があったからこそ、既知のニュースを取り上げることは怖いと感じたことがありました。しかし、つい先日、読者にこのような言葉をいただいたのです。「今日紹介されていたニュースは、私が見たニュースとほとんど同じで安心しました」と。これはかなりの衝撃でした。同じ=安心という考えは、私にはなかったのでとってもうれしかったです。
最近は別の意味で怖さもある。
私の巡回リストに入っているというブログの中の人が、私のコメントを非常に楽しみにしているということだ。これもきっと私の自意識過剰なのかもしれないけれど、期待をひしひしと感じることがある。期待には答えたい性格でありながらも、ニュースサイトという時間のかかる趣味を持っていると、どうも一つ一つに時間を避けないときがある。もっともっと読みくだいて、相手の期待以上のコメントをしてあげたいと思いつつも、上手いコメントが書けなかったときは、いつもごめんなさいって思いながら紹介しています。
しかし、逆手に取るとこれほどありがたいことはない。私のコメントを期待しているのだ。私は、コメントを期待される程度には認められているということだ。この適度なプレッシャーが快感で仕方ない。これまさに承認欲求というやつだろう。
ニュースサイトの読者は、ニュースサイトに自分の知らない素晴らしいニュースを紹介してくれることを期待するかもしれない。ブロガーは、自分のブログを紹介してくれたニュースサイトのコメントに期待するかもしれない。そしてニュースサイトの管理人は、期待に答えられなかったらどうしようと怖さを感じてしまうかもしれない。
でも、期待なんて読者の勝手なものだから常に応えなくても良いと思う。自分の好きニュースをただ羅列していればそれでいいじゃないか。「俺はお前の好きな俺にはなれない。だから、好きなことをしてる俺を好きになれ。」くらい強気に好きなことをやるべきだ。自分ではなく相手に合わすと、長続きしないのがウェブの常である。
だが、可能なときは期待に応えてあげた方がいい。相手が驚くくらいのサービスしてやんな。誰かを喜ばせることなんて、そうそうできる機会はない。だから、できるときに可能な限り喜ばせてやれ。これが、ツンデレニュースサイト管理人の極意である。
おまけ。
サービスと言えば、以前アルファブロガーの方にブロガーはSかMか?という記事で「まなめはドS」と言われたが、やっぱり私はMだ。なんだかんだ言って褒められてうれしくない人はいないでしょう。サービスを受けるのは良いものです。あなたの濃厚なサービスを受けたいドMです。ただ、サービスを与えてもらうためにまず私がナニカを与えているだけです。さしずめ、まなめのMはマスター(Master)のMと言ったところか。
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コメント
他でどう紹介されていようと,まなめさんが気になったニュースを紹介するのが良いと思います.他のニュースサイトで書かれたコメントとの違いを見れるのも楽しいですし,他のニュースサイトを見ていない人もいるかもしれないですし.
それはそうと,「期待なんて読者の勝手」,でも「可能なときは期待に応えてあげた方がいい」の部分は良いですね.
投稿: dropsound | 2007.11.10 01:00