個人ニュースサイトとトラックバック
リンクを並べただけの羅列型個人ニュースサイトがトラックバックを送ることはどうなのかという問題がある。
まずはブロガーとしての私の意見だが、はっきり言ってうれしくない。トラックバックは一通のラブレターだと思っているし、相手からトラックバックが届いたということは、自分の記事の話を広げてくれたと解釈して期待して見に行ってしまうからだ。
ただし、システムとしてのトラックバックとしては正しい行為であるためそのようなニュースサイトを叩くつもりもない。が、人としてのトラックバックとしては、そのブログはリンクを貼っただけでトラックバックを送るサイトなんだと認識してしまい、二度三度続いてアドレスさえ覚えてしまえば、もうトラックバックを頂いてもそのサイトへ足を運ぶことは無いだろう。
そして、個人ニュースサイト管理人としての私の意見だが、私だったら送らない。
昔からのニュースサイトだからこう思ってしまうのかもしれないが、私はニュースサイトとしての居心地の良さとは繋がりの弱さだと思っている。私のサイトを見ている人が気づいてくれればいい、アクセス解析で気づいてくれれば良い程度で、強制はするものではないと思っている。ニュースサイト管理人というのは、きっとみんな小心者なのだ。
それに、コメントなしや1行コメント程度でトラックバックを送るなんて怖くてできない。その1行だけで評価されてしまい、このサイトはこういうサイトだと烙印を押されてしまったらどうしようって思ってしまう。まだ、自分で記事を起こして読んでもらってから「この記事つまんね m9(^Д^)プギャー」とか「SEO乙」とか言われた方がまだ清々しいものがある。負けるときこそ本気出したいものじゃないですか。
昨今、これがスパムかどうかという話が問題に挙がっている。
当然ながら、これはスパムではない。だって、リンクがあるんだもの。それでも問題に挙がってしまうのはやはり文化圏の違いなのだろう。
トラックバックをめぐる4つの文化圏の文化衝突――「言及なしトラックバック」はなぜ問題になるのか
まず第一に、私は言及文化圏の人間だ。だから、トラックバックが届いたらどんな言及をされたのだろうと期待してトラックバック元を見に行く。そこが記事リンクもない宣伝目当てのスパムだったら即削除。しっかり言及されている場合は踊って喜ぶし、関連記事でもある程度は許してしまう。
しかし、せっかくリンクが貼られていても何のコメントもなければがっかりするのだ。この人は何を伝えたかったのだろう、と。トラックバックはラブレターだと言ったけれど、その中身が空っぽだったら、あるいはあなたの写真が入っているだけだったらどう思う?ストーカーこええええってなると思いませんか?
なぜ私がこう思うか。それは、私がトラックバックは人であると考えているからです。
反面、システムとしてのトラックバックは関連するものすべてを拾ってくるべきだとも思っている。取捨選択は相手にまかせて、まずは知らせる。これもまた一つの正しい姿だと思っているので、私は許容する。ただし、好きでも嫌いでもなく、単に存在しても無視してしまうサイトとして頭に残るようになってしまうことのは覚悟して頂きたい。
トラックバックは、システムに対しては常に効果があるが、人に対しては諸刃の剣となる。相手が気に入ってくれたら自分のブログの常連になってくれるかもしれないし、気に入らないとその人の中で自分のブログの価値は一気に下がるだろう。だから、トラックバックを送る前に一瞬でも良いので「あの娘ぼくがトラックバック送ったらどんな顔するだろう」と考えてみると良いと思うのです。
良いトラックバックで、良いブログライフを!
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