あなたにとってコミュニティとは何ですか?
私にとって、コミュニティとは場所でした。
小学生の頃、土日はいつも学校の近くの駄菓子屋に行きました。50円ゲーム機が数台あり、そこで時間を潰しつつみんなが集まると缶蹴りをして、飽きてくると誰かの家に行ってファミコンをする週末を毎週のように送っていました。そんな感じで、学生時代は学校が、大学ではバイト先が私の所属するコミュニティの中心でした。
コミュニティとは何かと考えたとき、私は「人」か「場所」の2つを思い浮かべたのですが、田舎者の私にとっては、あの場所(店)にいけばきっとみんな居るだろうなという場所に足を運ぶことが多かったため、場所なんだと思います。実際、私の地元では、パチンコ屋ごとにコミュニティがあるらしく、そこに行けば自然に暇な人が集まるそうです。私は東京に出てしまったので分かりませんが、非常にうらやましいと思います。
では、ウェブコミュニティは場所なのでしょうか、人なのでしょうか、それとも別の何かなのでしょうか。
さて、この記事は前回(ネット歴10年以上だけどオフ会ばかり行っているのは何故か考えてみた)の続きでオフ会に関する話。10年くらい前のオフはメーリングリストで知り合った人と集まろう!というイベントみたいな感じでした。ポストペットのMLでは公式ガイドブック作者を呼んだり、いいひと。MLでは高橋しん先生を呼んだりと、当時の私は何を考えていたのでしょう。若さって武器だと今更ながら思います。ただ、そのときに知り合った方と最近また会うようになったのはおもしろい縁だなとは思ってますが。
8年くらい前から5年間は競艇関係のオフばかりでした。ある選手のファンサイトにあるチャットに、テレホタイム常駐していたメンバー20人くらいと、その選手の応援に一緒に行ったり、みんなでお金を出し合って横断幕を作ったり。また、私自身も競艇マンガ「モンキーターン」のファンサイトをやっていたこともあり、そこの掲示板で毎日この記事より長い書き込みが20以上投稿される賑わいでした。そんなところに「今度、○○競艇場に行きます」と書けば地元の人が集まってくれるんですよね。私が全国を飛び回っていたことも功を奏したのかもしれません。おかげで、私にとって競艇場はコミュニティの場所でした。いつどこの場に行けばどの辺の人が集まるか分かっていたし、みんなで遊びたいときは掲示板で声あげれば集まったし、その上、掲示板やチャットでの交流も熱く交わしていました。
競艇は良かったんです。競艇場という場所が存在して、そこに容易に集まれますから。大好きな趣味が存在して、それをやるための場所がリアルに存在するならば、仲間をネットで集めてあとは現地集合という形が取れるわけです。先日、ぐりさんとはてなーはモテないとかお話したのですが、はてなーがモテないのではなく、はてなで交わされる話題の多くはネットの話題であり、ネットの話題はネット上で完結してしまうので、なかなかリアルの出会いに結びつきにくいというだけなんだと思うのです。
それでも、会ってみたいなと思う人を誘ったり、私に会いたいと誘われたりするので、私自身は案外好きなことを話せてはいます。しかし、理想を言わせてもらうとネットの話題で盛り上がりたいなーってときにふらりと“どこかの場所”にさえ行けば、ネット好きな人がだらだらと集まって語り合えるようなところが存在したら最高だと思うんですよ。ギークな方面でプログラマーカフェを作ろうとしている方がいましたが、あれなんて理想そのものですね。そこまで場所に拘らなくても、気軽に集まれるメンバーとちょくちょくネットの話題さえできれば何一つ問題無いんですけどね。いつものメンバーでないとできないような深い話、どうでもいいことを本気で考えるような会話、そんなのをしたいのです。
さて、コミュニティは場所であるという私の考えを正しいと貫くならば、ウェブ上におけるその場所は Twitter だと私は考えています。ブログもmixiも主体は人です。そこに行けば誰かがいるかもしれないという場所ではありません。しかし、Twitterは場所です。followerが800人を超えてるから思うだけかもしれませんが、Twitを起動すればそこに誰かがいます。そして今思ってることを呟けば興味ある人が反応してくれますし、自分に何も無くてもそこに興味がある話題があれば反応しちゃいます。Twitterのコミュニティ性ってこの辺にあると思うんですよね。
さいごに。私は小さい頃から友達を自宅に呼ぶことが好きでした。きっと自分の家にコミュニティを作りたいと思っていたのかもしれません。これ、もしかしたら私の結婚観の一つなのかな?
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