逃げ道としての楽観
「好きなことやれば良いんだよ!」
「自分が楽しければ良いじゃん!」
・・・なぁ、本当に良いのか?
これらの言葉は、ポジティブと捕らえることのできる単語だと思う。
現状の自分を認めるすごく良い言葉だと思う。
でも、使い方を間違えてほしくない。
ネガティブな気持ちを吹き払うために使う言葉であって、
前に進んでない自分を許容するための言葉じゃない。
そうは言っても、「現実世界ではないのだし、インターネット上ぐらい好きにやらせろ」という人が居るのは判る。だが、そういう人は潜在的な購読者を獲得する機会を逃していることを忘れないで欲しい。「好きにやらせろ」という言葉が「誰にも迷惑かけてないからいいじゃん」的言い訳のように使われているのを見ると、違うって思う。単に私の理想が、自分だけが楽しむではなく、みんなが楽しく感じるとかみんなと楽しむってところにあるからそう思うのかもしれないけど。
記事を読んでもらう工夫
そもそも「好きにやる」って、他人の制約を受けないってことではないと思う。自分で自分に制約をつけるってことだと思う。だから、好きなことほど厳しく追及したい。好きにやりたい、楽しくやりたい。大いに結構。その分、評価は厳しくあっても良いんじゃないかな?
人は、文章を自分の都合の良いように解釈する。自分を否定されれば不安になり、認めてもらえれば安心する。だから、つい安心できるように解釈していまうけれど、それが単なる“逃げ”になっていないことを願う。
<参考>
三省堂提供「大辞林 第二版」より
ポジティブ:(形動)積極的なさま。
ネガティブ:(形動)否定的。消極的。
楽観的:(形動)物事がうまくいくだろうと明るい見通しをもつさま。
悲観的:(形動)悲観するさま。悲観する傾向にあるさま。
楽観:(名)物事をすべてよいように考えること。将来の成り行きについて明るい見通しをもつこと。
悲観:(名)悪い結果を予想して気を落とすこと。この世の中を悪いものだと考えること。
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