“後の先”の生き方
後の先(ごのせん)という単語は知っているだろうか。簡単に説明するならば、武道の場合相手の攻撃を防いだ直後にあるいはそれを先読みして、切り返しの技を出すこととなる。私がこの言葉を知ったのは六三四の剣だったかな。
私の後の先の生き方のコツは2つしかない。
1.型を作る
2.型にはまる場を作る
言葉にすると簡単だけど、実際に実行するのはかなり難しい。とりあえず、勝負事ということでギャンブルで例えてみる。私の型は本命党だ。力が同じならばインの選手が勝つという競艇ならではの地の利を利用した買い方をする。舟券(あるいは馬券)を買う人のほとんどは本命党は常に本命を買い、穴党は常に穴を狙い、あるいは勝つと思った券を買うのだろう。私はそのように先に攻めることはしない。1日12レースあれど、本命で決まるのはせいぜい1~2レース程度。だから、12レースの中から自分の型にはまるレースだけを探す買い方をする。
これをやるには自分の型を知り尽くさなくてはならない。自分の型で苦手な部分を知り尽くし、自分の型が最大限に力を発揮できる前提条件を把握する。それを知ることが最低条件だからだ。失敗して、成功して、その境界を明確にしていく。型を作ろうとしていくときに、型の強度を測るためにインプットをブレさせることが大事ですね。成功するために最善の手段しか取れない人を見ると、強くても足場が固くないのでもろさを感じることがあります。
型さえ作れば、あとは呼び込むだけだ。発動条件への道筋を多数用意して、誘導する。あえてスキを作ってそこにかみついてきたところを狙い撃ちするなんて常套手段。弱い攻撃はより強い攻撃を出すための場を作るためにあえてスキを見せる行為であることさえある。サッカーなんてその典型的例で、支配率が高い方が得点率が落ちるケースが多い非常におもしろいスポーツだ。広く攻めさせることでスキができあがるからこそカウンター攻撃が成り立つのだ。誘い受けとも言えるかな?
自分自身がこんな生き方をしていると、同志を見つけるのも案外難しくない。まず、負けを楽しめる。だって、勝つためには負けることが条件だから、試合に勝つことより勝負に勝つために負けを演じるのがとてもうまい。そして、斜め上の行為をする。場の大事さをしっているからこそ、場を作らせてくれない。自分の型を作るためにブレさせる行為を相手に試すことで自分にもプラスにしようとするやつは本当に怖い。何より自分の型をすぐに変えることのできる人だ。良いものは全部吸収しようとするやつは怖くて仕方がない。
先日、とあるオフで「私のスタイルは後の先」と言っただけで相手に通じ、互いに意気投合した。そして彼はこう問うた。「この考え方をいつ見つけたのか」と。その場では答えられなかったが、よくよく考えたら数学の考え方にしか思えなくなった。型とは公式であり、問題が場に該当する。ここでは型というより武器と呼びたいかな。武器があるからこそ、それを使いこなせる場がある。場があるからこそ、そこで生きていくために武器が必要になる。そこで場に合わせた武器を使うのか、自分にとって絶対的な武器を使うのか。数学でいう問題(場)に対して絶対的な武器(基礎)は厳しいものがある。だから、場(問題)に合わせて武器(公式)を選ばねばならない。しかし、場は与えられるまで待っているだけではない。ある程度推測して武器を用意しておくものだ。そこではまったときの快感はきっと忘れないだろう。武器(型)を最大限に利用できたときの感動もしかり。
だから私はこう答える。「後の先の考え方は、学校で学びました」と。直接教わったわけではなく、勉強している中で勝手に思ったことだけれど。要は、応用。一つの道はすべてに通ず。たまたま武器を持っていた私が、それを最大限に使うために考えた生き方(ライフハック)にすぎません。
#大半の方には意味不明なエントリで申し訳ありません。
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