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とある行き過ぎたオフ充の参考記録

力量も無いのに“友達”“人脈”を膨張させれば自滅が待っている - シロクマの屑籠(汎適所属)

という記事のはてブで、こんなこと言われました。

kaitoster そのへん、えがちゃんとかまなめとかどう処理しているんだろうね。
p_shirokuma そう、だから実はid:manameさんを畏敬の目でみていたりする。あのスタイルを氏は長く維持し、今のところホメオスタシスが破綻しているようにはみえない。あれは本当に不思議で、どういう適応なのか私気になります。

まるで私が力量があるかのような言いっぷりである。

私個人にそんな力量は無い。高校大学社会人いずれを振り返っても、一緒に遊ぶ友達は固定された2~3人だ。友達1000人とか作ろうとも思わないし、広げようとも思わない。むしろ、結婚式で友達呼ぶとなっても1テーブルを埋められる友達グループが存在しないなーと悩むほどだ。

そんな私がなぜかネット経由で多くの人と会うようになった。200枚刷った名刺が一年でなくなったから、300~400人くらいには会ったと思う。もちろん、会うことと友達は別で、定期的に(数ヶ月に1回は)会っている人は50人には満たないと思う。それでも50人も会い続けることができるのはすごいと思われそうだけど、それは「ネットの利」「地の利」「人の利」が偶然かみ合っているだけである。

要するに、ある程度は知名度のあるサイトを毎日更新していること、東京というイベントの多い地にいることで似たようなイベントに参加し続ければ約束しなくても同じ人と会い続けることができ仲良くなれたこと、初めての人に会うのは非常に怖いけれど、信用できる知り合いが連れてきた人ならば信用できるので怖さが安らぐこと。これで、“コミュニケーションの剪定作業”と“自分の力量では対処しきれない人物に引っかかる確率”の2つはある程度クリアできると思う。

こんなことを書くと、「それはまなめさんだからできる」とか「都内に住んでない私には無理」、「オフ会に着ていく服が無い」とかネガティブな反応を示す人がいるけれど、今回は別問題。そもそも、すべてを満たしていたって年間100回もオフ会に参加するのはおかしいし、したいと思う人はほとんどいないだろうし、何より私がおすすめしない。

3つ目の大事なポイント“エネルギーの枯渇”、これは元の記事の言っていることに非常にうなずきました。誰にも限界はあるし、1000人も友達がいたら体が回らないし、時間が足りないし、何より一人に割ける時間が少なくなってしまう。私も彼女がいた時期はオフ会にほとんど参加しなかったし。

それでいて今の私が回っているのは、受け身であるからなのかな、と。一度回転した車輪は回すことより止めることの方が難しく、オフ会に出続けることで、興味深いオフ会に次々と誘われるようになったり、私自身サイトで好きなことを発信し続けているのでそれを見た人が私の好きなイベントに誘ってくれる。このプラスの連鎖ではエネルギーの枯渇にはなっていない。むしろ、刺激されることでやりたいことがどんどん増えていき、時間ばかりが枯渇していく。

エネルギーが枯渇するのはどんなときだろう。一緒にいてつらい人の場合は消耗するけれど、そういう人とは継続して会うことはないし、うーん、それ以外では消耗してない。なんだろうね、寂しがり屋の私としては人といられるだけで幸せなんだろう。まだまだ会いたい人はいるし、もっと何度も会いたい人もいる。でも、その辺でアクションを起こせていないあたりの受け身っぷりは、力量というよりはむしろ何か大事なものが欠けているのだとさえ思う。

興味を持ったらなんでもやってみるといい。そこには楽しいこともつらいこともあるだろう。その過程でエネルギーを消耗することもきっとある。でも、その中から楽しいことだけを選択することで、いずれ楽しいことばかりになるんじゃないかな?案外、私はそのあたりにいて、確実に、私はそのあたりにいると勘違いしている。


ここからTwitterのfollower数の限界話に繋げようと思ったのですが、そこはまた別の方に譲りましょう。では。


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