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「良いことば」と「都合の良いことば」

本を読んでいて、「この本は○○さんに読ませたい」って思うことがある。この感情に対して「なぜ?」を繰り返すと、「この部分を読んだらどう思うだろうか」「私が常日頃思っていることが上手く表現されている」「私の考えを理解して欲しい」「私と同じ考え方になって欲しい」なんてエゴにたどり着いちゃったりするのだけれど。

そんな気持ちで薦めた本を読んでもらっても、自分が読んで欲しかった部分は全く相手の記憶にも残ってなくて、別のどうでもいいところについて熱く語られてしまい、「そういう意味で薦めたわけじゃなかったんだけど…」としょんぼりするものだ。しかし、「この本は○○さんには合わないよ」と薦めなかった本に限って、「読んでみたら案外良かったよ」なんて言われたりする。

そんな経験から、人は、自分に都合の良い言葉を探そうとするものだと思うようになった。自分に都合の良い本を薦めても、その「良さ」は共有できないのだと。

ネットでも同じ問題がある。はてなブックマークやツイッターのお気に入りを見ると、自分にとって都合の良いものばかりが並んでいることがあって恥ずかしくなることがある。むしろ、良くもここまで自分に都合のいいことばを見つけてきたものだと感心してしまうほどに。

そこで、振り返る。自分に都合の良いことばばかりを集めることは、悪いことなのだろうか。自分にとって良いものだから、安心するし、自信にもなり、背中を押してくれる。一方で、視野が偏っていることに気付かず、間違っているかの判断がつかなくなる。

そんなことを考えるようになってから、「良いことば」を見つけたときは、それが「自分に都合の良いことば」かどうかを考えるようになった。それが誰かに自分の考えを押し付けるのに都合の良いことばなのか、そのことばが好きな自分を他人に見せたいだけなのか。本当に良い言葉は「自分を変えた言葉」だけなのではないだろうか、と。

同様に、自分が違うと思ったことには強く反論してしまうものでもあるんだけれど、それはまた別の話。


追伸。
当ブログは2010年1月1日をもって、開設6周年となりました。やったね!

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