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私たちに必要だったのは「ドラッカー」ではなく「もしドラ」だったのか

もしドラのアニメが2週間にわたって放映されて、こんな話だったなぁなんて思い出しながら見ました。なんか書籍も250万部を超える人気だそうで。そこで自分なりに、なんでもしドラが人気になったのかを考えてみたんですよ。

ちょっと話変わりますが、「歴史は繰り返す」って言うじゃないですか。歴史は苦手なのでどことは言えないのですが、大きな視点で見るといつの時代も同じようなことを繰り返しているので、歴史に学ぶことで自分の行動に良い選択ができるようになるものだと思うのです。

数学だったら「相似」がそれにあたるでしょうか。一見違うものでも、共通した部分を見つけることで同じように対応することができる。公式を使って計算問題を解く行為もそれでしょう。違ったものを同じものと認識することで、過去の体験・知識を活かすことができる。

こういうことって歴史や数学だけでなく、さまざまなことから学んでいるのに、学校にいるときってなかなか気付けないことなんですよね。「この展開、前にも見たことがある」なんて私生活で気付くことは多くても、それを体系的な知識にして残していないと次もまた同じような選択をしてしまうんです。

学校で何年もかけて学んだことを活かせていない人が多いように、社会人になって学んだことを活かせていない人も多いと思います。ドラッカーの「マネジメント」も本当に素晴らしい本にもかかわらず、それを実践で使いこなせていない人が大半でしょう。そんな人のために、もしドラが必要とされているのではないかと思ったのです。

人は知識を身につけたときにどのようなことを考えるのでしょうか。私は、これはどう使えるだろうか、今の現状にこれはどう当てはまるだろうかといった風に考えます。しかし、そうやって使ってみた例はなかなか見ることができません。ドラッカーの「マネジメント」を読んで、「これが実際に使われている現場を見てみたい」と思った人も多かったと思うんです。そんな人たちのために、「もしドラ」が必要とされたのでは、というのがヒットの理由の一つだと私は思いました。

知識よりも、知識の使い方が求められていたのでしょう。


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