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【読書感想文】写真集という非日常の中にこそ日常を感じる

夏休みの読書感想文に大苦戦していた長男に、アドバイスをしてみたら2時間で完成した話 | Books&Apps

このエントリが話題になり、ブコメを眺めながら、大人になった今もう一度読書感想文を書いたらどうなるだろうかと思った私は、「#ブログ読書感想文」なんて企画を言ってみたので、せっかくなので自分でも簡単に書いてみようと思った。

■課題図書の選択


小学生の頃に書いた読書感想文では、2つか3つ程度の指定された課題図書から1冊をんで購入し、感想を書いた記憶がある。今思うと、担任が人数分読むのだからある程度絞らないと大変だからなんだろう。市の中心まで買いに行ったので、市内の学校で同じ本が課題になるのだから、課題図書になるような本を書けば儲かるのではないかなんて邪な考えをしてしまうw

では、今回書く本は何にしようか。そう考えた場合、感想を書く前提で新たに本を見つけて書くべきか、それとも自分に大きく影響を与えている本で書くべきか。だいたいこの2つになると思う。そうなると後者から「いいひと。」について書くべきな気がする。あるいは、自分の本の感想を書いてステマするという選択肢まであるかもしれない。ツイッターでは、「読書感想文では否定してもいいと知ってから、楽にかけるようになった」というのが話題を集めていた。与えられた本だったらそれもありだけれど、自分で選べるのだからそんなことよりも良いものを絶賛したい。それでいて奇をてらいたい性分なため、何か違うことをしたい。そんな思いから、私はひとつの写真集を手に取った。


南條愛乃写真集 じょる旅!inグアム
尾形 正茂
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■この本との出会いのきっかけ

写真集を買うなんて、中の人を応援したいという思いしかない。

そういう意味で振り返ってみたが、この曲好きだって思ったらそのアーティストが出しているアルバムを全部聞くし、それで気に入ったアーティストならば出したもの全部買うようになるし、そのアーティストのオススメする曲も可能な限り聞いていた。NO MUSIC NO LIFE. というキャッチコピーがあるが、私にとっての音楽はそれに近いレベルで生活に影響を与えてきた。漫画や本、ブログだって同じように作家買いしている人はいるが、その比率は高くない。自分にとっては音楽が最も影響を受けてきた。

そういう意味で、この南條愛乃さんの本業は声優ではあるが私の中では音楽枠なのだ。「カタルモア」との出会いが、すべてのきっかけであり、この写真集との出会いに帰結する。

■あらすじ

グアムで撮影した写真集である、以上。

で、終わりにしてしまうと何も伝わらないのでもう多少補足する。「南條愛乃写真集」と言うと、ファンの間では「撮る方?撮られる方?」とざわざわするのだが、今回は撮られる方。「ジョル旅!in グアム」というタイトルも「ジョル散歩」が西日暮里であり、撮る方の写真集では奈良だったことを考えると一気に飛躍しているようであるが、FF14大好きで番組まで持つようになった彼女にとってのグアムはエオルゼアと似た景色があったと熱く語るような地でしかなく、当然のように水着写真など一枚も無い。原宿で東京ストリートスタイルに声をかけられるおしゃれな彼女が見せる、新たな一面といった感じだろうか。

■感想

写真集に求めるものは「いつもと違う一面」だと私は思っている。実際に、そういう意味では違う一面を見れたと思う。しかし、いつもと違う一面が「非日常」かと言われたら、そうとも限らない。特に南條愛乃さんは引きこもりなおかげで、表に出て活動すること自体が非日常なのではと思うことがある。しかし、ファンからしたら表に出ている部分しか見えないのだ。確かにラジオ等で語られる多くのエピソードに彼女の日常を多く感じ取ることはできるが、日常と非日常の境界は読者が察するところでしかない。

ブログだって同じだと思う。ブロガーを押して察するには更新させるブログを読み続けることだが、そこにあることがすべて日常とは限らない。見栄を張りたがりな人は少なくなく、見せたい自分だけを見せている人が多いのではないだろうか。そういった意味で私なんて弱点ばかり見せているし、感想文で声優の写真集を選択した時点でどん引きされていることだろう。しかし、継続して追いかけているとそのような発信の中にその人の日常を感じ取れるようになってくる。

人はいろんな一面を見ることで、その人となりを識別するのだと思う。しかし、できあがったその人のイメージは受け取った人の数だけ存在する。私自身も多少なりテキストで情報発信をし続けて感じられるのだが、人は自分の都合の良いようにしか受け止めない。それが発信者にとって都合の良い時もあれば都合の悪い時もあり、違う一面で評価を変える人もいれば決して変えることがない人もいて、思った通りに受け止めてもらえたりもすればそうでないことも多く、またそうでないときばかりである自分はもっと発信力を身に着けたいと思うけれど、えてして良い方向に解釈されることが多くて、良い読者に恵まれているうちに成長しなくてはいけないなと反省ばかりしている。

グアムという場所に非日常を感じたのだが、受信者の立場で考えたら日常は察するもであり、その精度を高めるためにも、あるいは自分の思い描いた偶像をより正しいと思うためにも、どんどん新たな一面を求めるものなのではないかと思った。

■まとめ

・日常でも非日常でも変わらない部分がある。
・それを察するのは読者の勝手な解釈であり、人の数だけ解釈が存在する。
・南條愛乃さんはかわいい。

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コメント

油彩(ゆさい)には、以下の2つの意味がある。 油絵具を用いる制作の手法。

投稿: 花 絵画 | 2016.10.19 13:05

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